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笑顔になる料理 ビールのおつまみ [行きつけの]

ファミリー全員が昼の食事に出かけて行ってシマイ、ボクがひとり留守番役をつとめたのは、つい先だってのデキゴト。その後ミンナが帰ってくると、母のドギー・バッグならぬビニール袋からはイイにおい。  催促すると
kamiya11.jpgkamiya.jpg何とスペアリブの骨、
ボクへのオミヤゲでした。
   ・・・オイシかったぁ。


浅草一丁目1番1号の
神谷バー。   建物は
1921年(大正10年)竣工
震災や空襲にも耐えて
国の登録有形文化財。
      まもなく百歳。

右奥は新装なった
  "アール・デコ
    アサクサ・マツヤ"



自分のことを、美食家や健啖家けんたんか になれない"一般酒飲みおやじ" と任じているMyボスですが、イマや浅草寺周辺にある料理屋は、老舗と称される店でさえ観光客相手の飲食商売ヤ になってしまい、お薦めできる店 "板前のウデと、店主の良心と、粋な接客" この三拍子そろった"浅草らしいミセ"はホンノわずかになったヨウダとツネヅネ嘆いておりますル。
また、若いウチは、ひと口食べたら笑顔になれる料理を自分で見つけ出して食べナサイ、そうして、記憶に残る味をいくつか思い出せるような年頃になれば、家庭料理こそが一番オイシイし、そうでなくてはならない、ということに気がつくようになるモンダ、とも申しておりますル。

命のスープ」で有名な辰巳芳子サン、野菜の切り方を人参は何ミリ玉葱は何センチと、素材によって大きさを変えて火の通る時間を考えてつくるスープは、弱った身体に沁み渡り、細胞に生きるエネルギーを与え、瀬戸際で生と死を左右する命を支えるスープ、らしい。で、このヒトの母上が辰巳浜子たつみはまこ さんという方。
1904年(明治37年)千代田区生まれ、本名は辰巳ハマ。日本の料理研究家として草分けであったが、本人は料理研究家と呼ばれることを嫌い、自らを主婦であるとしていたソウナ。
彼女は「家庭でうけつがれる料理」にこそ力をいれたワケで、Myボスはそれがお気に入りで、彼女の料理のココロを綴った「料理歳時記」が色あせた表紙で本棚に。  そこには、こういうクダリがあるンでありンス。

ビールのおつまみ
私の主人は大のビール党で・・・サッポロビールを飲み慣れて、その飲みっぷりたるや実に見事なものです。
塩でみがいて油けを除き、麻のふきんで拭きあげた薄手の小さめのコップにビールをつぐと、一息にガバッと飲み干すのです。・・・ビールにはなるべく、油けを使ったものをおつまみにされるほうが、からだのためによいようです。
サッポロビール.jpg
                             》》》 ヨダレがぁっ~ 《《《
おつまみとして、空豆、ピース、枝豆、ぎんなん、焼きわかめ、揚餅、じゃがいも千六本さらし揚げ、揚げごぼう、らっきょう、玉葱薄切りなど、それらのあしらい方も紹介されてマス。

彼女は、1977年(昭和52年)に享年72で亡くなってマス。生前、夫・芳雄が脳血栓になって神奈川県立七沢病院に入院中、浜子は旅館に泊まりこんで夫のために料理を作っていたというンですナ。芳雄は浜子の3年後に他界。

どうでスっ。 ビール党だった家族のための家庭料理、この話に尽きると思いマスです。

                    料理修行中のファミリーは読んだのカナ・・・
                    Myボスの本棚には、料理本がもう1冊 檀一雄の「檀流クッキング」もアリンした。

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