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アール・デコ アサクサ・マツヤ [行きつけの]

東京スカイツリー開業にあわせた準備がイロイロ進んでいるようナンで、その一つ、浅草松屋ビルを眺めながら散歩してきました。

建物は、吾妻橋と同じ1931年(昭和6年)竣工で、鉄道省初代建築課長となった久野節くのみさお の設計、清水組施工の鉄骨鉄筋コンクリート造の地上7階・地下1階。そのデザインは、1925年に開催されたパリ万博の正式名称の一部"Arts Decoratifs"をとって"アール・デコ様式"とか"1925年様式"と呼ばれアメリカを中心に建築や美術工芸品などに採り入れられた幾何学図形をモチーフにしたスタイルで、昭和初期の日本でも流行したんですナ。
                                   ソコデ、開業当時のマツヤ・ビルの写真の一部をご紹介。
浅草松屋1931年開店当時Matsuya_Asakusa_1931.jpg
2階部分にアーチ形の窓が連続したりして、旅行した上海の外灘ワイタンのようなイイ雰囲気だネとMyボスは申しております。日本で最初と言われる屋上遊園地にはロープウェイまであって、団塊世代をはじめ当時の地元の子どもたちはミンナここで遊んだ記憶があるンだとも。

鉄道の乗り入れは東武と京成とが競っていたそうだが結局、東武伊勢崎線に。デ、アノ隅田川鉄橋を渡ってきた電車の終着駅は新規開業の「浅草雷門駅」で、1945年に「浅草駅」に改称。それまでは今度"スカイツリー駅"となった「業平橋駅」が浅草だったソウで二転三転の駅名。しかも何と中間には「隅田公園駅」というのもあったソウナ。
浅草松屋ビルには東武線のホームが2階に、地下には、1927年(昭和2年)開通していた日本で最初の地下鉄のホームも。 蛇足ナガラ、地下鉄ホームの奥、ツマリ松屋ビルの下には南千住方面に線路が延びていて、かつては延伸が地元要望されたこともあったのネ。

アト、松屋ビルは、当初はオフィスビルで設計されて建築途中で駅デパになったようですナ。テナントの正式店名が 数年前に「松屋浅草店」と変わってるようナンですが、相変わらず"アサクサマツヤ"と呼ばれ、中身は今もパッとしない下駄履きデパート。ダカラコソ親しまれてルンですが、地元では、かつての都電22系統や地下鉄銀座線で浅草から、遠くに行くほど高順位になるランキングの一番っ手前。で、今もって、マツヤから始まってマツザカヤ、もチョット先に ミツコシ・今はなきシロキヤタカシマヤ、ここまでで欲しい物一通りは揃ったモンですが、さらに奥には銀座があってその先はナイ、というものでした。ちなみに、そもそも松屋とは、1869年(明治2年)創業の横浜石川町「鶴屋呉服店」が始まりだそうで、その後東京神田で江戸時代からの「松屋呉服店」を買収して東京進出をはたし、事業拡張で百貨店に。ナノデ、両方の屋号の「松」と「鶴」を形取ったロゴマークだった・・・江戸風でヨカッタのにネ。

          マ、まもなくアルミ?外壁からアール・デコ外観になって屋上大時計も復活するようで楽しみデス。
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