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勧善懲悪團十郎 花川戸助六 [散歩スポット]

そのうちにご案内しようと思っていたトコロ、十二代目市川團十郎さんの訃報があって、ご冥福を祈りつつ江戸歌舞伎ユカリの地を散歩してまいりました。

江戸歌舞伎発祥の地とされる浅草、先ずは浅草寺境内の本堂北、ご存じ歌舞伎十八番のうちの一つ「」しばらく の見得みえ を切っている九代目團十郎像。碑文によれば、明治の時代に"劇聖"と謳われた九代目の銅像でして、1919年(大正8年)につくられたものの戦時中に金属供出に遭い、1986年(昭和61年)になって十二代目團十郎の襲名を機に再現されたのだソウナ。
1団十郎.jpg
銅像の台座の裏には、末尾に「鴎外森林太郎撰 不折中村鈼太郎書」とある銘板がついていて、森鴎外の名文と
中村不折の名筆が刻まれてるようナンですが、九代目の賞賛なのかどうか漢文なのでMyボス読むこと能わず。

いわゆる"歌舞伎十八番"は、七代目團十郎によって1832年(天保3年)に、"初代から四代目までの團十郎が、初めて演じてしかも得意にしていた18の作品を集めたもの"だそうで、その七代目は、"市村座"で「助六」を演じて、息子海老蔵えびぞう に八代目團十郎を襲名させて自分は海老蔵と改名したソウナ。
今世の成田屋十二代目團十郎サンはそういうことが叶わなかった。

で、團十郎たちが演じていた芝居小屋があったトコロが、浅草寺のスグ北側、現在の浅草六丁目で、江戸歌舞伎の殿堂、旧猿若町なの。"江戸三座"と呼ばれたのは、北から順に守田座・市村座・中村座で、それらの名残が「江戸猿若町守田座跡」・「江戸猿若町市村座跡」と刻まれた石碑と中村座の銘板も。    当時からの藤浪小道具も。
2猿若町界隈.jpg
芝居の町だった猿若町は、江戸歌舞伎の祖、中村座の座長だった猿若勘三郎の名から付けられたラシイのですが、十八代目中村勘三郎サンも昨年ご逝去で、残念・・・その後、明治に入ると小屋はヨソへ移り、1966年(昭和41年)の住居表示では町名も変わってしまいました。
ナノデ、1854年(嘉永7年)に歌川広重が描いた夜の猿若町、芝居がはねた後の景色と、同じスジの現在の様子。
3猿若町新旧.jpg

お終いに、浅草寺から百メートルほど東、現在の花川戸はなかわど二丁目の公園内にある「助六すけろく歌碑」。
ここにも、團十郎とつながる石碑があって、雅号が「團州」の團十郎の揮毫きごう で、「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり 團州」と書いてあるラシイ。教育委員会の説明板では、九代目團十郎が中心となって1879年(明治12年)日本橋の贔屓ひいき スジの顕彰のために現在の清川一丁目にある仰願寺に建立したものが関東大震災で崩壊したため、この地に再造立されたソウナ。
4助六スカイ.jpg
"花川戸助六"は同じく歌舞伎十八番、「助六所縁江戸桜」すけろく ゆかりの えどざくら の主人公ですが、成田屋のHPで筋書きが紹介されていて、"江戸吉原で全盛の花魁おいらん 揚巻あげまき の愛人である侠客きょうかく 花川戸の助六は、・・・曾我五郎の仮の姿で、源家の重宝友切丸ともきりまる の行方を詮議していたのである。江戸ッ子の代表のような美男子の助六と、意気地と張りを特徴とした吉原の遊女揚巻。悪所あくしょ を背景にして展開する大衆の祝祭劇" とあるので、彼は架空の人物でアリンスが、江戸紫エドムラサキ のハチマキ、十二代目團十郎サンはとぉーっても似合ってましたとMyボス。   海老サマが精進して素晴らしい十三代目になるの楽しみにして・・・。
                       今日の陽気は穏やかハルめいて、スカイツリーは霞んで、ボクもボケてますぅ。
コメント(4) 

コメント 4

Soran606

新装なった歌舞伎座で
4月から公演される「新開場柿葺落こけらおとし」で、6月の演目が
「十二世市川團十郎に捧ぐ」と銘打った「助六由縁江戸桜」で、
ナント海老蔵が助六を演じるコトになったソウナ。
・・・江戸紫のハチマキ姿、見得を切ると大向うから声が・・・
by Soran606 (2013-02-22 11:31) 

淳之介

そーいえば、今日・・新歌舞伎座の竣工式でしたよね。
(遅れて、タイムリーになりました。(^_^;))
歌舞伎には、まったく縁のなかった我が家。
昨年、博多座で猿之助さん(当時は亀治郎さん)の舞台を見る機会に
恵まれ、少し興味が出てきたところです。

※6月に「博多座」で開催される「六月博多座大歌舞伎」の公演前には、
  一座をお披露目する博多川での「船乗り込み」が、
福岡の初夏の風物詩になっています。
(紙吹雪が、とっても素敵なんですよ。)

by 淳之介 (2013-02-26 20:51) 

Soran606

毎度ありがとうございます。

博多川「船乗り込み」、とぉっても羨ましいですね。
亀治郎時代、NHK-FMでジョッキー番組やってたので聴いてました。
彼は、二代目猿翁の嫡男の香川照之が九代目中車を襲名し、
自らは四代目猿之助を襲名した際に、「亀から猿になって」と名言。
微妙な背景があるようですが、これからの活躍が楽しみなヒトです。
by Soran606 (2013-02-27 12:05) 

Soran606

葬儀の日に公表された十二代目團十郎サンの句
   「色は空 空は色との 時なき世へ」
      忘れないように・・・合掌。
by Soran606 (2013-02-28 01:43) 

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