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咲き続ける桜で 愛憎とともに [散歩スポット]

今朝は北からの風が吹いてやや花冷えの陽気でしたが、空は快晴なので上野寛永寺付近へ。
明治の文豪幸田露伴こうだろはん が自らをカタツムリに擬して「蝸牛庵かぎゅうあん」と名付けた東向島の旧居は "向島の蝸牛 露伴・鴎外・辰雄"でご紹介したとおりですが、その後に露伴先生が1891年(明治24年)から2年間住んだのが谷中天王寺町、現在の谷中七丁目で、この地で代表作の「五重塔」を執筆したソウナ。

近辺には、"東洋のロダン"と称された朝倉文夫の住居兼アトリエだった、国指定の登録有形文化財の朝倉彫塑館もアリンス。自ら設計したそうで、Myボス曰く、雲上の芸術的生活が偲ばれる素晴らしいトコロですが、ボクはモトモト入場できませぬし、現在なお改修工事中。
朝倉彫塑館.jpg
なので今日は、"谷中の五重塔"跡へ。
五重塔跡.jpg
江戸時代に建立された五重塔、江戸四塔と呼ばれたものの一つでしたが、1962年(昭和37年)7月6日明方に炎上してしまい、今は礎石のみに。目と鼻の先に住む朝倉文夫は、"関東と関西の型を折衷した塔で、屋根の線が独特の美しさを持っていた。震災であの塔が揺れるのを見たが焼けるのまで見ようとは"と嘆いたソウナ。
炎上.jpg
五重塔跡のすぐ近くには訳詩集「海潮音」で有名な上田敏うえだびん のお墓がひっそりと。
上田敏.jpg
そこで、情感たっぷりな彼の訳詩をちょっつご紹介。
          " 山のあなたの空遠く 幸住むと人の言ふ " ・・・ Karl Hermann Busseブッセ
          " 秋の日の ヰ゛ィオロンの ためいきの
             身にしみて ひたぶるに うら悲し " ・・・ Paul Marie Verlaineヴェルレーヌ

五重塔跡からゆっくりと歩いて数分のトコロ、露伴一家の旧宅跡にはそのことを示す説明板が立つのみですが、曰く、露伴先生はここから日々、五重塔を眺めていたソウナ。
露伴旧宅.jpg
露伴の次女として向島で生まれたのが幸田文こうだあや、その一人娘、露伴の孫にあたるのが青木玉あおきたま で、この谷中の後に暮らした「小石川の家」を題名にして、随筆家としての彼女が家族の情愛についてこう綴っているのだそうです。
      "人とのつながりは常に愛憎とともにあると母は言っていた。
       それを悟らせたのは祖父であろう。堪え得たものだけが知るところである。
        という、この美しく人を和ませ、慕わせ迷わせもする言葉の極まった姿に対して、
         私はあまりにも弱く幼くて思考及ばず・・・ "
谷中の桜.jpg
   五重塔は炎上してしまいましたが、きっと当時も咲いていたサクラ、今日も美しくキレイでした・・・。
コメント(2) 

コメント 2

淳之介

すっかり、ご無沙汰してしまいました。<(_ _)>

いつもながらに、常に新しく生まれ変わる都会の顔と・・
古いもの歴史の趣を残す町の顔。東京は、奥深いですね。
至る所に、爪痕有ですね。

規模は違いますが、必ず録画して見ているNHK「探検バクモン!」でも、
このところ・・・東京国立博物館、東大総合研究博物館の新しい展示施設インターメディアテク、国の重要文書を保管する国立公文書館と、特集が続き、建物・展示・保管のデザイン性の高さ、歴史的資料の蓄積・保管技術、そして携わる方々のセンスの良さに、感動しておりました。

ボスがSoran君とともに、紹介してくださる場所そこそこに・・
古いもの、新しいものが、上手く合わさっていて素敵だなぁ~と、
感じること多し!です。
プラス自然も、コラボしてて・・またイイのですよね~。(^_^)/

by 淳之介 (2013-05-11 14:54) 

Soran606

いつもありがとうございます。
ご無沙汰、ボクらこそ。
サンポの行く先、Myボスの決定事項ですが、
単なる懐古趣味?、ハタマタ江戸明治浪漫?かと思われますデス。

by Soran606 (2013-05-12 16:40) 

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